8月1日、今日から8月のスタートです。

 今日は、8月1日、土曜日です。今日はねぶた祭の前夜祭があり、浅虫温泉も花火大会の日です。今日から一週間後の7日のねぶたの海上運行と花火大会が打ちあがるまでが、青森は夏真っ盛り、ねぶた一色に染まってしまいます。そして、盆踊りが終わると青森はつるべ落としのように秋へと彩りを変えてしまいます。
 体の表面を覆っていた汗が引いていき、頭からつま先までの皮膚という皮膚が引き締まっていくのを感じてしまうのです。そんな八月がやってきてしまいました。
 今日は日課を終えたら、10時から今村さんのところで奏海の会、午後から川柳句会、夕方から千成の四人会と行事がぎっしりです。明日は休養の日にあてるつもりです。なぜなら、3日の朝に、次男一家3人がねぶたにやってくるからで、そのアテンドをしなくてはならないからです。
 昨日、チェルノブイリ子ども支援ねっとの総会にでて、仲谷さんの好意で懇親会へ身代わりで出さしてもらい、田村、甲屋、橋本、風晴さんと話すことができました。橋本さんとの去年からの隙間をとりのぞいて、昔の仲良しにもどることができました。とくに、甲屋さんから何十年ぶりかで、意見され大いに感動し、傍若無人な振る舞いを反省もさせられました。彼も59歳でした。わだかまりが解けた気がしました。最後に残った風晴さんと、一緒に風晴さん夫婦の旅の話を聞きながら帰りました。
 8月に向けた好い日、旅立ちの一夜でした。8月こそ、五徳、温良恭倹譲の精神でいきたいものです。

 今日の子規歳時は、
 病牀に秋海棠を描きけり (1899年、明治32年8月1日)
 果物帳を描き続けた子規は、8月1日(明治35年、1902年)別の画帳に秋海棠と金蓮花を写生します。これが草花帳のはじめとなりました。果物帳は8月6日アナナス(鳳梨)で完結しています。
 しゅう‐かいどう【秋海棠】シウ‥ダウ
シュウカイドウ科シュウカイドウ属(ベゴニア)の多年草。中国南部の原産。観賞用に栽培し、しばしば野生化している。地下に塊茎がある。茎は肉質・多汁。節は紅色。高さ約六○センチメートル。九月ごろ、長い柄の先に淡紅色の単性花を開く。季・秋。「病床に―を描きけり」(子規)
 きんれん‐か【金蓮花】‥クワ
ノウゼンハレンの別称。
 のうぜん‐はれん【凌霄葉蓮
ノウゼンハレン科多年草で、園芸上はナスタチウムと通称し一年草。南米ペルー原産。茎は蔓性。葉は円形でハスの葉に似るがずっと小形で、裏面は白い。夏から秋に、葉腋から長花柄を出し、黄色または鮮紅色のノウゼンカズラに似た大形の美花を開く。観賞用。原産地では根を食用。金蓮花
 アナナス【Ananas】
(もとペルー語)
パイナップル科の旧称。特に、観葉植物として栽培するものの総称。中南米原産の約三百種を含む。エクメア属(Aecmea)のサンゴアナナス、グズマニア属(Guzmania)のインコアナナス、クリプタンサス属(Cryptanthus)のトラフアナナスなど、花穂・葉の美しいものが多く、温室などで栽培する。
 ほう‐り【鳳梨】
パイナップルの漢名。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言20です。
 文人的遭殃,不在生前的被攻击和被冷落,一瞑之后,言行两亡,于是无聊之徒,谬托知己,是非蜂起,既以自衒,又以卖钱,连死尸也成了他们的沽名获利之具,这倒是值得悲哀的。
 Wénrén de zāoyāng, bùzài shēngqián de bèi gōngjí hé bèi lěngluò, yī míng zhīhòu, yán háng liǎng wáng, yúshì wúliáo zhī tú, miù tuō zhījǐ, shìfēi fēngqǐ, jì yǐ zì xuàn, yòu yǐ mài qián, lián sǐshī yě chéngle tāmen de gūmíng huò lì zhī jù, zhè dǎoshì zhídé bēi'āi dì.
文人が災難に見舞われるのは、生前に攻撃されたり、冷遇されたりすることにあるのではなくて、亡くなったあとで、言行がともに滅びたあとに、暇を持て余した輩によって、立ちあがれないでいる知己に誤りを託されたり、自らをひらけかすように、また金銭で売るように、ほかの一緒に屍となっている人たちの名前を手に入れるような、そんな災難にあうのです。それこそ、まさに悲哀そのものです。」
  文人文人 wenren 災難に見舞われる;遭殃 zaoyang 攻撃;攻击 gongji 
  冷遇;冷落 lengluo 安らかに死ぬ;瞑 ming 暇を持て余す;无聊 wuliao 
  誤り;谬 miu 托す;托 tuo 知己;知己 zhiji 蜂起;蜂起 fengqi 
  衒(ひら)けかす;炫 xuan 売る;卖 mai 屍;尸 shi 買う;沽 gu 
 手に入れる;获 huo 悲哀;悲哀 beiai

 今日の論語は、論語9-14(論語巻第五 子罕第九篇 14章)です。
 子欲居九夷、或曰、陋如之何、君子居之、何陋之有、
 Zi yù jū jiǔ yí, huò yuē, lòu rú zhī hé, jūnzǐ jū zhī, hé lòu zhī yǒu,
「子、九夷に居らんと欲す。或るひとの曰わく、陋(いや)しきことこれを如何せん。子曰わく、君子これに居らば、何の陋しきことかこれ有らん。」
孔子が、自分の道が中国では行なわれないので、いっそのこと東方の未開の地に住まおうかとされた。ある人が「むさくるしいが、どうでしょう。」といわれた。孔子はいわれた、「君子がそこに住めば、何のむさくるしいことがあるものか。」と。)
(子欲居九夷,或曰,陋如之何,子曰,君子居之,何陋之有,