8月31日、月曜日です。穏やかな朝を迎えています。

 8月31日、泣いても笑っても8月は今日で終わりです。

 今日の子規歳時は、
 鮒鮓や考槃亭をかりの宿 (1901年、明治34年8月31日)
 子規は夏休みを終えて帰京するとき、明治23年には大阪から大津に行き、義仲寺から幻住庵を訪ね、三井寺山内考槃亭に宿を求めて数日滞在し、琵琶湖上に舟を浮かべて月を賞したりしました。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言51です。
 青年两字,是不能包括一类人的,好的有,坯的也有,
 但我觉得虽是青年,稚气和不安定的并不多,
 我所遇见的倒十之七八是少年老成的,
 城府也深,我大抵不和种人来往。
 Qīngnián liǎng zì, shì bùnéng bāokuò yī lèi rén de, hǎo de yǒu, pī de yěyǒu,
 dàn wǒ juédé suī shì qīngnián, zhìqì hé bù āndìng de bìng bù duō,
 wǒ suǒ yùjiàn de dào shí zhī qībā shì shàoniánlǎochéng de,
 chéngfǔ yě shēn, wǒ dàdǐ bù hé zhǒng rén láiwǎng.
「青年という二文字は、ひとくくりにできないし、好いものであり、未完成なものである。だが、私が知っている青年は、子供っぽくて不安定な者も多くはないけれども、私が出会った10人のう青年のうち7、8人は、少年のうちに老成していて、用心深くて、私はほとんどその青年たちに会ったことすらないのだ。」

 今日の論語一日一章は、論語10-12(論語巻第五 郷黨第十篇 12章)です。
 康子饋藥、拜而受之、曰、丘未達、不敢嘗、
 Kāngzi kuì yào, bài ér shòu zhī, yuē, qiū wèi dá, bù gǎn cháng,
(康子馈药,拜而受之,曰,丘未达,不敢尝,)
「康子、藥を饋(おく)る。拝してこれを受く、曰わく、丘未だ達せず、敢えて嘗めず。」
(季康子が薬を贈った。孔子は拝のおじぎをしてから受けとっていわれた、「丘(わたくし)は(この薬のことを)よく知りませんから、今は口に致しません。」と。)