9月18日、今日は四人会の日です。

 今日は9月18日、金曜日です。夕方、5時から四人会があります。政明さん、鉄人さんとわたしが、一昨年の八月に亡くなった工藤監督を偲んで毎月一回、監督の遺影をそばに四人会と名付けて集まっているのです。柿崎先生が加わることもありましたが、5月からは山宮君が加わりました。周と同じシニアで監督に教わった山宮君の長男が青高野球部に入ったからです。秋の地区予選で勝ち、県大会を出場を決めた青高の新チームの話を聞けそうです。県大会でも勝って、東北大会への出場が決まれれば、選抜出場も期待できるのでこれからが楽しみです。
 一方、戦争法案は参院の特別委員会で強行採決され、今日、本会議で採決されようとしています。まさに正念場を迎えています。
 今朝、6時半に起きて、浪岡事務所へ「稲わらふりーでんマップ」を持参する前に日課をやろうとして、時間をとってしまい、9時少しまえに家を出ました。空港をまわって、7時35分に浪岡事務所へ着きました。マップのCDと切手を渡し、マップの中身を確認してもらい、31枚の切手のうち1枚を返却され、あとは10月6日の稲わら収集ボランティア実施概要の要請文をいただいてきました。雨は小雨ですが、ずうっと降り続いていました。
 10時からのSDPのレセプション実行委員会には20分遅れて参加しました。同じ時刻から市民美術展示館で素人デジカメ展が始まっています。12時から駅前公園で戦争法案反対集会があるので、アウガに車をとめて、そこから傘をもって集会にでました。だんだん雨が激しくなり、成田先生の隣におりました。金沢先生と前田さんの姿もありました。鈴木彰君が細君と一緒に参加していました。
 1時半に市民美術展示館へ行き、受付を手伝って、4時までいました。115人が展示館に訪れました。

 今日の子規歳時は、
 糸瓜咲て痰のつまりし仏かな (1902年、明治35年9月18日)
 明治35年9月18日の朝、子規は板にはりつけた紙へ糸瓜(へちま)3句を次々に書きつけました。まくらべに侍していた妹も碧梧桐もただ整然と見守っていました。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言71です。
 世上固多爱国者,但也羼者些爱亡国者。
 爱国者虽偶然怀旧,却专重在现世以及将来。
 爱亡国者便只是悲叹那过去,
 而且称赞着所以的病根。
 Shìshàng gù duō àiguó zhě, dàn yě chàn zhě xiē ài wángguó zhě.
 Àiguó zhě suī ǒurán huáijiù, què zhuān zhòng zài xiànshì yǐjí jiānglái.
 Ài wángguó zhě biàn zhǐshì bēitàn nà guòqù,
 érqiě chēngzànzhe suǒyǐ de bìnggēn.
「この世には愛国者が多いのですが、その多くが国を亡ぼす者です。愛国者はたまたま懐旧心がつよく、かえって現在や将来のことに疎いのだ。そして、過去の病根について愛着をもつのだ。」

 今日の論語一日一章は、論語11-7(論語巻第六 先進第十一篇 7章)です。
 季康子問、弟子孰為好學、孔子對曰、有顔囘者、好學、不幸短命死矣、今也則亡、
 Jì kāngzi wèn, dìzǐ shú wèi hào xué, kǒngzǐ duì yuē, yǒu yán huí zhě,
 hào xué, bùxìng duǎnmìng sǐ yǐ, jīn yě zé wáng,
(季康子问,弟子孰为好学,孔子对曰,有颜回者,好学,不幸短命死矣,今也则亡,)
「季康子問う、弟子孰か学を好むと為す。孔子対えて曰わく、顔回なる者あり、学を好む。不幸、短命にして死せり。今や則ち亡し。」
(季康子が「お弟子の中でだれが学問好きといえますか。」とたずねたので、孔子は答えられた、「顔回という者がいて学問好きでしたが、不幸にも短い寿命で死んでしまって、今ではもうおりません。」と。)