10月10日、今日は家内の誕生日

 朝から、好天に恵まれています。ふれあい教室の帰りに誕生日のケーキを買ってくるつもりです。結局、11時45分に教室はおわり、通訳の劉雨さんを大学の前まで送りとどけたあと、ヤマダ電機に寄ってトイレを借り、ジークフリートで1850円のイチゴロールケーキを買いました。
 3時からと、6時からのプロ野球をテレビで観ましたが、期待していた藤浪投手と大谷投手が投げているのを見て、どちらのチームも敗れはしましたが、大きな将来性を感じました。若いというのはいいものです。
 7時前に三男夫婦が女房の誕生日祝いに来てくれました。近くの太助寿司をごちそうしてくれました。自分たちは上で、私たちは特上でした。それに私だけ田酒を二合も飲ましてもらいました。女房のおかげで好い一日でした。

 今日の子規歳時は、
 禅寺の渋柿くへば渋かりき (1897年、明治30年10月10日)
 京都の天田愚庵から柿と松茸が届いたのは明治30年10月10日でした。愚庵は磐城平の人で、戊辰の役で不明になった父母妹を尋ねて全国を遍歴し、山岡鉄舟に愛され清水次郎長の養子となり、その後僧となったのでした。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言93です。
 不负责任的,不能照办的教训多,则相信的人少;
 利己损人的教训多,则相信的人更其少。
 ”不相信”就是”愚民”的远害的堑壕,
 也是使他们成为散沙的毒素。
 然而有这脾气的也不但是”愚民”,虽是说教的士大夫,
 相信自己和别人的,现在也未必有多少。
 例如既尊孔子,又拜活佛者,
 也就是恰如将他的钱试买各种股票,
 分存许多银行一样,其实是那一面都不相信的。
 Bù fù zérèn de, bùnéng zhàobàn de jiàoxùn duō, zé xiāngxìn de rén shǎo;
 lìjǐ sǔnrén de jiàoxùn duō, zé xiāngxìn de rén gèng qí shǎo.
 ” Bù xiāngxìn” jiùshì” yúmín” de yuǎn hài de qiànháo,
 yěshì shǐ tāmen chéngwéi sǎn shā de dúsù.
 Rán'ér yǒu zhè píqì de yě bù dànshì” yúmín”, suī shì shuōjiào dí shìdàfū,
 xiāngxìn zìjǐ hé biérén de, xiànzài yě wèibì yǒu duōshǎo.
 Lìrú jì zūn kǒngzǐ, yòu bài huófó zhě,
 yě jiùshì qiàrú jiāng tā de qián shì mǎi gè zhǒng gǔpiào,
 fēn cún xǔduō yínháng yīyàng, qíshí shì nà yīmiàn dōu bù xiāngxìn de.
「責任が負えなくて、その通りに実行できないので、信じる人が少ない教訓はたくさんある。人をけなす利己的な教訓も多く、それだけにその教訓を信ずるひとはもっと少ない。この『不信心』こそが『愚民』たちを遠くに害をもたらす塹壕のようなもので、彼らをしてあちこちに巻き散らかす毒素のようにするのだ。自分と他人をお互いに信じ合わせるような、士大夫の説教は、今でも必ずしも多くはない。例えば、孔子を尊敬する人や、また仏法者の話を拝聴するような人たちは、あたかも他人の金で各種の株を買おうと試みるようなもので、銀行の存在と同じようなものである。その実、互いに信じあっている面はどこにも見当たりません。」

 今日の論語一日一章は、論語12-2(論語巻第六 顔淵第十二篇 2章)です。
 仲弓問仁、子曰、出門如見大賓、使民如承大祭、
 己所不欲、勿施於人、在邦無怨、在家無怨、
 仲弓曰、雍雖不敏、請事斯語矣、
 Zhòng gōng wèn rén, zǐ yuē, chūmén rú jiàn dà bīn, shǐ mín rú chéng dàjì,
 jǐ suǒ bù yù, wù shī yú rén, zài bāng wú yuàn, zàijiā wú yuàn,
 zhòng gōng yuē, yōng suī bù mǐn, qǐng shì sī yǔ yǐ,
(仲弓问仁,子曰,出门如见大賓,使民如承大祭,己所不欲,勿施於人,在邦无怨,在家无怨,种弓曰,雍雖不敏,请事斯语矣,)
「仲弓、仁を問う。子曰わく、門を出でては大賓を見るが如くし、民を使うには大祭に承(つか)えまつるが如くす。己れの欲せざる所は人に施すこと勿かれ。邦に在りても怨み無し。仲弓が曰わく、雍、不敏なりと雖ども、請う、斯の語を事とせん。」
(仲弓が仁のことをたずねた。孔子はいわれた、「家の外で(人にあうときに)は大切な客にあうかのようにし、人民を使うときには大切な祭りにお仕えするかのようにし(て身を慎み)、自分の望まないことは人にしむけないようにし(て人を思いやり)、国にいても怨まれることがなく、家にいても怨まれることがない。」仲弓はいった、「雍はおろかではございますが、このおことばを実行させていただきましょう。」と。)