今日は8月27日、木曜日です。今朝は6時半に起き、日課をやっています。
今日の子規歳時は、「われに法あり君をもてなすもぶり酢」(明治29年)です。明治25年、大学生の夏目漱石が松山の子規を訪れた際、子規の母が松山のスシでもてなしたそうです。
今日の日本国憲法は、
第27条〔勤労の権利義務、勤労条件の基準、児童酷使の禁止〕
(1)すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
(2)賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
(3)児童は、これを酷使してはならない。
(本条は、勤労の権利義務と労働基本権をうたっています。)
今日の魯迅箴言は、箴言365日の93日目「無責任な、その通りやれない教訓が多いと、」です。
(原文)
不负责任的,不能照办的教训多,
则相信的人少,
利己损人的教训多,
则相信的人更其少。
”不相信”就是”愚民”的远害的塹壕,
也是使他们成为散沙的毒素。
然而有脾气的也不但是”愚民”,
虽是说教的士大夫,
相信自己和别人的,
现在也未必有多少。
例如既尊孔子,又拜活佛者,
也就是 ]如将他的钱试买各种股票,
分存许多银行一样,
其实是那一面都不相信的。
(拼音)
(訳文)
無責任な、その通りやれない教訓が多いと、
信ずる人も少なくなる。
自分のためばかり考えて人のことを考えない教訓が多いと、
信ずる人はますます少なくなる。
「信じない」ということは、「愚民」が害を遠ざけんする塹壕であり、
また、彼らをしてばらばらの砂たらしめる毒素でもある。
しかしながら、この気質をもっているのは、「愚民」ばかりではない。
説教をする士大夫にしても、
自分や他人の言葉を信じている者は、
今ではそういくらもいないだろう。
例えば、孔子を尊びながらも、ラマ教の活仏を拝んだりする者は、
あたかも自分の金で試みに各種の株券を買い、
それを多くの銀行に分散して預ける者と同様で、
実はどちらをも信じてはいないのである。
(※外国人は中国人のことを「ばらばらの砂」だといって笑う)