1月10日、あつらえの扇出来たり謡初

 1月10日、正岡子規は明治26年の冬、根岸の家で二三人で謡の稽古を始めたようです。子規は声が低く、一番下手だったようです。それでも子規文庫には謡本が全部そろっていたようで、子規はこれを読破していて、能狂言のことはよく知っていたようです。落語に能狂言と子規はまことに博学多能でした。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言183です。
 动植之间,无脊椎和脊椎动物之间,都有中间物;或者简直可以说,在进化的链子上,一切都是中间物。
 Dòng zhí zhī jiān, wú jǐchuí hé jǐchuí dòngwù zhī jiān, dōu yǒu zhòng jiān wù; huòzhě jiǎnzhí kěyǐ shuō, zài jìnhuà de liànzi shàng, yīqiè dōu shì zhōngjiān wù.
 「動物と植物のあいだ、また無脊椎動物脊椎動物の間には、どちらにも中間物が存在する。或は、つまりこうも言えよう、進化の鎖に連なるものすべてが中間物である、と。」

 今日の論語一日一章は、論語14-38(論語巻第七 憲問第十四篇 38章)です。
 公伯寮愬子路於季孫、子服景伯以告曰、夫子固有惑志公伯寮也、吾力猶能肆諸市朝、子曰、道之将行也興、命也、道之将廃也興、命也、公伯寮其如命何、
 Gōng bó liáo sù zilù yú jì sūn, zi fú jǐng bó yǐ gào yuē, fūzǐ gùyǒu huò zhì gōng bó liáo yě, wú lì yóu néng sì zhū shì cháo, zǐ yuē, dào zhī jiàng xíng yě xìng, mìng yě, dào zhī jiàng fèi yě xìng, mìng yě, gōng bó liáo qí rú mìng hé,
 (公伯寮愬子路於季孙,子服景伯以告曰,夫子固有惑志公伯寮也,吾力猶能肆诸市朝,子曰,道之将行也兴,命也,道之将废也兴,命也,公伯寮其如命何,)
 「公伯寮、子路を季孫に愬う。子服景伯以て告して曰わく、夫子因より公伯寮に惑える志し有り。吾が力猶お能く諸れを市朝に肆さん。子曰わく、道の将に行われんとするや、命なり。道の将に廃せんとするや、命なり。公伯寮、其れ命を如何。」
 (公伯寮が子路のことを讒言した。子服景伯がそのことをお知らせして、「あの方(季孫)はもちろん公伯寮めのことばに心をまどわしておいでですが、わたしの力でもあいつを死刑にして広場でさらしものにすることができます。」といった。孔子はいわれた、「道が行われようとするのも運命ですし、道がすたれようとするのも運命です。公伯寮ごときが一体運命をどうするのです。」と。)