1月14日、箕笠を蓬莱にして草の庵

 1月14日、木曜日です。今日は旗開きが6時からあり、6時半から水陽会があります。4時半から、参議院選挙の選対発足式もあるようです。挨拶だけ聞いて、水陽会にでるつもりです。午後から自治体政策の会議があり、午前は事務所で、25日の説明書づくりをするつもりです。8時には家に戻り、15日の北狄の合評会の準備とそのあとの月曜会の準備もするつもりです。
 万葉集に「秋田刈る旅の庵に時雨降る」とあります。若い頃、子規はよく箕笠をかぶり、草鞋を履いて旅に出ていたようです。それが病気をして動けなくなってからは、美濃笠を柱に蓬莱のように掛けて、昔の旅を思い出していたようです。この句から湯段の時雨庵を思い出しました。いまごろは時雨庵も雪で埋まっていることでしょう。湯段の道の奥には森のイスキアがあり、玄関前の鐘も雪に埋まっていますよ、きっと。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言187です。
 做了人类想成仙;生在地上要上天;明明是现代人,吸着现在的空气,却偏要勒派朽腐的名教,僵死的语言,侮辱尽现在,这都是”现在的屠杀者”。杀了”现在”,也便杀了”将来”。――将来是子孙的时代。
 Zuòle rénlèi xiǎng chéng xiān; shēng zài dìshàng yào shàngtiān; míngmíng shì xiàndài rén, xīzhe xiànzài de kōngqì, què piān yào lè pài xiǔ fǔ de míng jiào, jiāngsǐ de yǔyán, wǔrǔ jǐn xiànzài, zhè dōu shì” xiànzài de túshā zhě”. Shāle” xiànzài”, yě biàn shāle” jiānglái”.――Jiānglái shì zǐsūn de shídài.
 「人間でありなが千人になろうとし、地上に生まれながら天に昇ろうとし、明らかに現代人であり、現在の空気を吸っていながら、あくまでも朽ち腐れた儒教、倒れ死んだ言葉を無理に押し付けて、現在を侮蔑しつくす、それは「現在の屠殺者」である。「現在」をころせば、それは「将来」を殺すことだ。――将来は子孫の時代だ」

 今日の論語一日一章は、論語14-42(論語巻第七 憲問第十四篇 第42章)です。
 子張曰、書云、高宗諒陰三年不信、何謂也、子曰、何必高宗、古之人皆然、君蒙、百官総己以聴於冢宰三年、
 Zi zhāng yuē, shū yún, gāozōngliàng yīn sān nián bùxìn, héwèi yě, zǐ yuē, hébì gāo zōng, gǔ zhī rén jiē rán, jūn méng, bǎi guān zǒng jǐ yǐ tīng yú zhǒngzǎi sān nián,
 (子张曰,书云,高宗谅阴三年不信,何谓也,子曰,何必高宗,古之人皆然,君蒙,百官总己以听於冢宰三年,)
 「子張が曰わく、書に云う、高宗、諒陰三年言わずとは、何の謂いぞや。子曰わく、何ぞ必らずしも高宗のみならん。古えの人皆な然り。君薨ずれば、百官、己を総べて冢宰に聴くこと三年なり。」
 (子張がいった、「書経に『殷の高宗は喪に服して三年のあいだものをいわなかった。』とあるのは、どういうことでしょうか。」孔子はいわれた、「何も高宗に限らない。むかしの人はみなそうだった。主君がおかくれになると、すべての官吏は自分の仕事をとりまとめて、三年のあいだ冢宰(総理大臣)に命令を仰いだものだ。後継ぎの君は、もちろんなにもいわないでおられた。」と。