2月19日、鶯の奥に家あり梅の花

 2月19日、金曜日です。
 やなか【谷中】
①東京都台東区北西端の地名。下町風の町並みが残り、寺や史跡も多い。
②栃木県下都賀郡にあった村名。明治末期、洪水を防止し足尾銅山の鉱害を回避するための渡良瀬遊水池とされ、廃村。現在、藤岡町の一部。
 こうだ‐ろはん【幸田露伴】カウ‥
小説家。本名、成行(シゲユキ)。別号、蝸牛庵。江戸下谷生れ。一八八九年(明治二二)風流仏」などを発表。理想主義的傾向をもつ擬古典派に属し、紅葉と並び称された。小説「五重塔」「連環記」、史伝「運命」「頼朝」、戯曲「名和長年」、長編詩集「出廬」など。文化勲章(18671947)
 明治25年(1892年)2月19日、子規は書き上げた小説「月の都」を手に、谷中にある幸田露伴の家をたずねています。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言223です。
 我们为传统思想所束缚,听到被评为”幼稚”便不高兴。但”幼稚”的反面是什么呢?好一点是”老成”,坏一点就是”老狯”。
 Wǒmen wèi chuántǒng sīxiǎng suǒ shùfù, tīng dào bèi píng wèi” yòuzhì” biàn bù gāoxìng. Dàn” yòuzhì” de fǎnmiàn shì shénme ne? Hǎo yīdiǎn shì” lǎochéng”, huài yīdiǎn jiùshì” lǎo kuài”.
「わたしたちは伝統思想のために束縛されており、不幸なことには”幼稚”だと評されていることを耳にします。だが、”幼稚”であることの反面はいったいなんでしょうか。よく言えば、”老成”ということになり、悪く言えば”老獪”ということになります。」

 今日の論語一日一章は、論語15-32(論語巻第八 衛霊公第十五篇 32章)です。
 子曰、君子謀道、不謀食、耕也餒在其中矣、學也禄在其中矣、君子憂道、不憂貧、
 Zǐ yuē, jūnzǐ móu dào, bù móu shí, gēngyě něi zài qízhōng yǐ, xué yě lù zài qízhōng yǐ, jūnzǐ yōu dào, bù yōu pín,
 (子曰,君子谋道,不谋食,耕也馁在其中矣,学也录在其中矣,君子憂道,不憂贫,)
 「子曰わく、君子は道を謀りて食を謀らず、耕すも餒え其の中に在り、学べば禄は其の中に在り。君子は道を憂えて貧しきを憂えず。」
 (孔子がいわれた、「君子は道を得ようとつとめるが、食を得ようとはつとめない。食を得ようとして耕していても飢えることはあるが、道を得ようとして学んでいれば、俸禄はそこに自然に得られる。君子は道のことを心配するが、貧乏なことは心配しない。」と。)