2月22日、すり鉢に薄紫の蜆かな

 2月22日、月曜日です。春の兆しと春雨が一緒にやってきたと思ったら、昨日の午後から一転して吹雪となりました。今朝も雪はそれほどでもありませんが、うっすらと雪がはりついた路面は凍結し、自動車のタイヤが滑って止まらない感じです。
 蜆が季語で、季節が春だということを初めて知りました。
 しじみ【蜆】
 シジミ科の二枚貝の総称。殻長二~三センチメートル、暗褐色または漆黒色、内面は多少とも紫色を帯びる。淡水または汽水産。肉は食用。わが国にはマシジミヤマトシジミ・セタシジミの三種あり、マシジミだけが胎生。しじみがい。>季・春>。万六「住吉の粉浜の―開けも見ず」。〈新撰字鏡八〉

 今日の魯迅箴言365日は、箴言226です。
 老的让开道,催促着,奖励着,让他们走去。路上有深渊,便用那个死填平了,让他们走去。少的感谢他们填了深渊,给自己走去;老的也感谢他们从我填平的深渊上走去。――远了远了。
 Lǎo de ràng kāidào, cuīcùzhe, jiǎnglìzhe, ràng tāmen zǒu qù. Lùshàng yǒu shēnyuān, biàn yòng nàgè sǐ tián píngle, ràng tāmen zǒu qù. Shǎo de gǎnxiè tāmen tiánle shēnyuān, jǐ zìjǐ zǒu qù; lǎo de yě gǎnxiè tāmen cóng wǒ tián píng de shēnyuān shàng zǒu qù.――Yuǎnle yuǎnle.
「老いた者は若者に道をあけ、促し、励ましつつ、彼らを先へと歩ませる。途上に深い淵があれば、自分の死をもって埋めて平らにし、若者たちを先へと歩ませる。若者は、老いた者が淵を埋め自分たちを行かせてくれたことに感謝し、老いた者もまた、自分が平らにした淵の上を歩む若者たちに感謝する。――遠く、どこまでも。」

 今日の論語一日一章は、論語15-35(論語巻第八 衛霊公第十五篇 35章)です。
 子曰、民之於仁也、其於水火、水火吾見蹈而死者矣、未見蹈仁而可小知也、
 Zǐ yuē, mín zhī yú rényě, qí yú shuǐhuǒ, shuǐhuǒ wú jiàn dào ér sǐzhě yǐ, wèi jiàn dǎo rén ér kě xiǎo zhīyě,
 (子曰,民之於仁也,其於水火,水火吾见蹈而死者矣,未见蹈仁而可小知也,)
 「子曰わく、民の仁に於けるや、水火よりも甚だし。水火は吾れ蹈みて死する者を見る。未だ仁を蹈みて死する者を見ざるなり。」
 (孔子がいわれた、「人民にとって仁徳が必要なことは、水や火よりも甚だしい。それなのに、水や火には、わたしは踏み込んで死ぬ人もみるが、仁にふみこんで死んだ人はまだ見たことがない。」と。