10月7日、検診で体重1キロ減、血圧116~77、H1c5.6でした

 今日は定期健診日です。努力の成果があり、体重は先月から1キロ減の83.7キロでした。血圧も117~77と安定していました。血糖値はH1cが5.6と先月と同じでした。来月の検診時にも体重をあと1キロ減らして臨むことにします。できれば80キロにしたいのですが、食事がおいしくてすぐ太ってしまいます。節制は温良恭倹譲、五徳の基本です。

 今日の子規歳時は、
 夕栄や鰯の網に人だかり (1895年、明治28年10月7日)
 子規は霽月の家にゆく途中、竹の宮を過ぎて「行く秋や手を引きあひし松二本」と詠み、霽月の家では歌俳諧の話に余念なく、午後は村内や海岸を散歩していました。「花木槿家ある限り機の音」。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言90です。
 乾隆朝的纂修四库全书,
 是许多人颂为一代之盛业的,
 但他们却不但捣乱了古书的格式,
 还修改了古人的文章,不但藏之内廷,
 还颁之文风较盛之处,使天下士子阅读,
 永不会觉得我们中国的作者里面,
 也曾经有过很有些骨气的人。
 Qiánlóng cháo de zuǎn xiū sì kù quánshū,
 shì xǔduō rén sòng wéi yīdài zhī shèng yè de,
 dàn tāmen què bùdàn dǎoluànle gǔshū de géshì,
 hái xiūgǎile gǔrén de wénzhāng, bùdàn cáng zhī nèitíng,
 hái bān zhī wénfēng jiào shèng zhī chù, shǐ tiānxià shì zi yuèdú,
 yǒng bù huì juédé wǒmen zhōngguó de zuòzhě lǐmiàn,
 yě céngjīng yǒuguò hěn yǒuxiē gǔqì de rén.
乾隆帝の治世のときに編纂した四庫全書は、一代で成した盛業としてほめたたえれているが、他方では、ただ古代人の文章を改修しただけの古書の格式にこだわりすぎたもので、朝廷のなかに隠れたものであり、ただでさえ文風が盛んな時勢にあって、天下の志士に閲読せるような、我ら中国の作家の内面を感得せしめるような気骨のある人は一人も出てきてはいない」

 今日の論語一日一章は、論語11-25(論語巻第六 先進第十一篇 25章)です。
 子路使子羔爲費宰、子曰、賊夫人之子、子路曰、有民人焉、
 有社稷焉、何必讀書然後爲學、子曰、是故惡夫佞者、
 Zilù shǐ zi gāo wèi fèi zǎi, zǐ yuē, zéi fūrén zhīzǐ, zilù yuē, yǒu mín rén yān,
 yǒu shèjì yān, hébì dúshū ránhòu wèi xué, zǐ yuē, shì gù è fū nìng zhě,
子路使子羔为费宰,子曰,贼夫人之子,子路曰,有民人焉,有社稷焉,何必读书然后为学,子曰,是故恶夫佞者,)
子路、子羔をして費の宰たらしむ。子曰はく、夫の人の子を賊なわん。子路が曰わく、民人あり、社稷あり、何ぞ必ずしも書を読みて然る後に学と為さん。子曰わく、是の故に夫の佞者を悪む。」
子路が李氏の宰であったとき、推薦して子羔を費の土地の宰とならせた。孔子が「あの勉強ざかりの若者をだめにしよう。」といわれると、子路は「人民もあり、社稷もあります。書物を読むことだけが学問だと限ることもないでしょう。」といった。孔子がいわれた、「これだからあの口達者はきらいだ。」と。)