5月5日、若楓仮名巧なる写し物

 5月5日、今年の連休も最後の休日となりました。この一週間、日課と新聞の切り抜きの他、28日の検診と花見、29日のういむいの会議、30日の町会の総会ともう一つの会議、1日と2日は家にこもって新聞の切り抜き、3日は憲法集会、4日は娘の買い物の付き合いで終わってしまいました。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言302です。
 生在有阶级的社会里而要做超阶级的作家,生在战斗的时代而要离开战斗而独立,生在现在而要做给与将来的作品,这样的人,实在也是一个心造的幻影,在现实世界上是没有的。要做这样的人,恰如用自己的手拔着头发,要离开地球一样,他离不开,焦躁着,然而并非因为有人摇头,使他不敢拔了的缘故。
 Shēng zài yǒu jiējí de shèhuì lǐ ér yào zuò chāo jiējí de zuòjiā, shēng zài zhàndòu de shídài ér yào líkāi zhàndòu ér dúlì, shēng zài xiànzài ér yào zuò gěi yǔ jiānglái de zuòpǐn, zhèyàng de rén, shízài yěshì yī ge xīn zào de huànyǐng, zài xiànshí shìjiè shàng shì méiyǒu de. Yào zuò zhèyàng de rén, qiàrú yòng zìjǐ de shǒu bázhe tóufǎ, yào líkāi dìqiú yīyàng, tā lì bù kāi, jiāozàozhe, rán'ér bìngfēi yīnwèi yǒurén yáotóu, shǐ tā bù gǎn bále de yuángù.
 「階級のある社会に生まれて階級を超えた作家になろうと思い、戦闘的な時代に生まれて戦闘を離れて独立しようと思い、現在に生まれて将来のための作品を書こうと思う。そういう人間は、実は心に描いた幻影であって、現実世界にはないものだ。そのような人間になろうと思うのは、ちょうど自分の手で頭の髪を引っ張って、地球から離れようとするようなものだ。彼は離れることができずに、やきもきしている。しかし、それは決して誰かがかぶりを振って、彼が引っ張るにも引っ張れないようにしたからではないのだ。」

 今日の論語一日一章は、論語19-15(論語巻第十 子張第十九篇 15章)です。
 子游曰、吾友張也、爲難能也、然而未仁、
 Zǐ yóu yuē, wú yǒu zhāng yě, wèinán néng yě, rán'ér wèi rén,
 (子游曰,吾友张也,为难能也,然而未仁,)
 「子游が曰わく、吾が友張や、能くし難きを為す。然れども未だ仁ならず。」
 (子游がいった、「わたしの友だち張(子張)は、なかなかできにくいことをやりとげる。けれどもまだ、仁ではない。」