3月19日、我病んで花の句も無き句帖かな

 今日は3月19日、月曜日です。大間原発の差し止め訴訟判決が函館地裁であり、訴えは棄却されました。残念ですが、想定された事態でもあり、裁判は高裁にもちこまれ、闘いは続きます。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言352です。
 现在中国有一个大毛病,就是人们大概以为自己所学的一门,是最好,最妙,最要紧的学问,而别的都无用,都不足道的,弄这些不足道的东西的人,将来该当饿死。其实是,世界还没有如此简单,学问都各有用处,要定什么是头等还很难。
 Xiànzài zhōngguó yǒu yīgè dà máobìng, jiùshì rénmen dàgài yǐwéi zìjǐ suǒ xué de yī mén, shì zuì hǎo, zuì miào, zuì yàojǐn de xuéwèn, ér bié de dōu wúyòng, dōu bùzúdào de, nòng zhèxiē bùzúdào de dōngxī de rén, jiānglái gāidāng è sǐ. Qíshí shì, shìjiè hái méiyǒu rúcǐ jiǎndān, xuéwèn dōu gè yǒu yòngchù, yào dìng shénme shì tóuděng hái hěn nán.
 今の中国には大変悪い癖があります。それは、人々がたいてい、自分のやっている学問が一番いい、一番面白い、一番重要な学問で、ほかの人のやっているのはみんな役に立たない、取るにたらないものだ、こんなつまらない学問をやっている連中は、やがて餓死するのが当り前だ、と思っていることです。ところが本当は、世の中はそんな簡単なものではありません。学問はそれぞれに役に立つのです。どれが第一等であるかを決めようとしても、それは大変難しいことです。