魯迅箴言日記 2019/9/6 萩芒来年逢んさりながら

 今日は、9月6日、金曜日です。昨日は、GEAの新町カネモトビルの事務所を4時半に出て、新しい事務所の木村ビルの下見に工藤さんと行き、そのあとアウガへ行き、13日の逢坂講演会のチラシを置き、古川の県民エネの新事務所を見に行き、水道が直っているのを確かめ、とり平でハツを食べ、ふじわらに寄って帰りました。妻に頼まれた買い物でした。3日・4日の疲れがでて、8時に眠ってしまいました。そんなわけて今朝は、5時半に起きました。

 今日の予定は、古川事務所の家賃(15000円)を払いに水口事務所へ行き、SDPとGEAで仕事・残務整理をし、午後5時過ぎにアウガへ行き、コスタリカの奇跡の上映会のお手伝いです。

 

 今日の子規歳時は、明治30年夏、熊本から上京していた漱石が離京する日に送った句です。再会を願いつつ、「さりながら」に自分の重病を思う不安が表現されています。いい句だと思います。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言232です。

 孩子长大,

    倘无才能,

 可寻点小事情过活,

    万不可去做空头文学家或美术家。

 子どもが成長しても、

 才能がないようなら、

 小さな仕事を探して生きるのがいい、

 万が一にも、中味のない文学家や美術家になってはならない。