魯迅箴言日記 2022/07/26 鳴きやめて飛ぶ時蝉の見ゆる也(明治28年、1895年)

 今日は7月26日、火曜日です。朝、労働福祉会館へ行き、労金によりGEAの家賃を振込、県庁生協へいき映画の協賛金を頂き、昼食後、アウガの教室へ出て、ごろうさんとピールを飲み、古川事務所で会計の整理を行ない、青柳事務所で企画会議をして、8時に帰宅しました。

 今日の子規歳時は、「鳴きやめて飛ぶ時蝉の見ゆる也(明治28年、1895年)」です。

 蝉;(「蟬」の漢音が和音化したものという説と、鳴き声によるという説とがある)

カメムシ目セミ科の昆虫の総称。頭部は低い三角形で、両側に丸い複眼があり、その間に3個の赤い単眼がある。腹面の長い吻で樹液を吸う。雄は腹面に発音器を持ち、鳴く。雌は樹皮に産卵。孵化ふかした幼虫は、地中に入って植物の根から養分を吸収し、多くは数年で成虫になる。クマゼミアブラゼミ・ヒグラシ・ツクツクボウシなど。せび。夏。万葉集(15)「滝もとどろに鳴く―の」
[広辞苑 第七版]

 今日の魯迅箴言は、箴言130-89「子どもが成長しても才能がないようなら、」です。

 孩子长大,倘无才能,可寻点小事情过活,

    万不可去做空头文学家或美术家。

 子どもが成長しても才能がないようなら、小さな仕事でも探して活きるとよい。

 万が一にも、中味のない文学家や美術家になってはならない。