魯迅箴言日記 2019/9/9 コホロギヤ物音絶エシ台所

 今日は9月9日、月曜日です。今日は、SDPとGEAの事務所整理し、午後から浪岡の土場の状況を見に行き、そのあと残務整理しつつ、今週の予定を立てます。

 浪岡の土場を見学に行き、柏谷先生が試験的に30センチと40センチに玉切りした数本のリンゴの木を見ました。今週中にもう一度、チェンソーの具合を見にくるとのことで浪岡の帰りにブギにドバの小屋の合鍵をつくってきました。古川の県民エナジーの事務所の今月分の賃料15,000円も水口君に払ってきました。約5年ぶりに事務所復帰です。事務所は水と電気、それに電話がつながっていますが、ガスはまだです。これからは毎日、県エナの事務所にも顔を出さすことにします。

 

 今日の子規歳時は、明治34年の句です。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言235です。

 长者须是指导者协商者,

    却不该是命令者。

    不但不该责幼者供奉自己;

    而且还须用全副精神,

    专为他们有耐劳作的体力,

    纯洁高尚的道德,

    广播自由能容纳新潮流中游泳,

    不被淹没的力量。

 大人は指導者、協力者であるべきであって、

 命令者であってはならない。

 幼いものに対して自分に奉仕するように強要すべきものでないのみならず、

 全精神をあげて、

 彼ら自身のためにつくし、

 彼らが労苦に耐えうる体力と、

 純潔高尚な道徳と、

 新しい潮流を広く自由に取り入れることのできる精神をもつよう、つまり、

 世界の新しい潮流の中へ泳ぎ出て行っても、

 呑み込まれることのないような力をもつように養成してやらねばならないのである。