魯迅箴言日記 2019/10/13 故郷や祭も過ぎて柿の味

 今日は10月13日、日曜日です。青森市は本当に自然災害が少ないところだと今回の台風19号でつくづく思いました。確かに昨日から今朝にかけて雨は降りましたけれど、そんなに風の被害もなく、今(午前9時)は太陽が何事もなかったかのように大地に降り注いでいます。

 台風19号の報道を目にして、日本中が台風の被害と惨状で不安と悲しみと怒りの中にあるのに、内閣は何をしているのでしょうか。こうしたときに、大地震でも起きて、再稼働中の原発に重大事故でも起こったらどうなるのでしょうか。東北大震災と福島第一原発事故の教訓が活かされないまま、日本は確実に破滅に向かっているのではないでしょうか。そうならないように、何ができるか、何をしなければならないのか、これからの日本国民に課せられた課題のような気がします。

 

 今日の子規歳時は、明治30年に詠んだ愚陀仏庵滞在中のことを思い出した句のようです。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言269です。

 一道浊流,

    固然不如一杯清水的干净而澄明,

    但蒸溜浊流的一部分,

    却就有许多杯净水在。

 濁流は

 むろん、一杯の清水の清潔さや透明さに及ばない。

 だが、濁流の一部を蒸留すれば、

 何杯もの澄んだ水になる。