魯迅箴言日記 2022/01/01 元日や枯菊残る庭のさき(明治28年、1895年)

 今日は2022年1月1日、土曜日です。大晦日から元旦にかけて大雪がつづいています。気候変動の証明です。年越しを大人6人、孫2人の8人でやり、現実は桜川の義弟のところへ8人で行きました。31日は千成の寿司とスキヤキ、それに康家の唐揚げを食べ、1日は義弟の家で正月料理を堪能し、雪中梅と八海山を呑んできました。こんなに楽しい正月はなかったように思います。

 今日の子規歳時は、「元日や枯菊残る庭のさき(明治28年、1895年)」です。

 今年の青森は例年になく大雪ですが、127年前の東京根岸の子規庵は庭に枯菊が残る陽気のようです。このとき、子規と漱石は28歳でした。私が28歳の正月は、三内の家で一家四人(母と家内、それに長男)が肩を寄せ合っていました。家内は長女を身籠っていて、春五月に出産したのでした。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-64「中国人には、昔から尊大なところがある」です。

 中国人向来有点自大。

    ーー只可惜没有「个人的自大」、

    都是「合群的爱国的自大」。

 中国人には、昔から尊大なところがある。

 ——ただ惜しむらくは、そこに「個人の尊大」はなく、

 すべて「集団的・愛国的な尊大」なのだ。