魯迅箴言日記 2020/04/22 萩の根を移しつ菊の根を分けつ

 今日は4月22日、水曜日です。自宅待機の二日目です。12時半に起き、5時に鶴亀温泉へ行き、6時半に戻りました。一昨日の徹夜と昨夜も4時間しか眠ってなかったので、7時半に朝食中に睡魔に襲われました。それでも朝食を摂り、風晴さん宅へ生活クラブ生協の購入票を届け、家に戻ってすぐに眠りました。11時半に富岡さんからの電話で起こされ、昼に焼きそばをたべました。まだ眠気はありますが、机に向かって日課にとりかかりました。

 

 今日の子規歳時は、「萩の根を移しつ菊の根を分けつ」(明治30年)です。この句は、17、8年前の少年の頃の回覧雑誌を子規らが各自で清書、筆写したころを思い出した句です。

 今日の魯迅箴言は、箴言130の96です。

 (原文)

   孩子是要别人教的,

    毛病是要别人医的,

    即使自己是教员或医生。

    但做人处世的法子,却恐怕要自己斟酌,

    许多别人并来的良方,往往不过是废纸。

 (拼音)

   Háizi shì yào biérén jiào de,

    máobìng shì yào biérén yī de,

    jíshǐ zìjǐ shì jiàoyuán huò yīshēng.

    Dàn zuòrén chǔshì de fǎzi, què kǒngpà yào zìjǐ zhēnzhuó,

    xǔduō biérén bìng lái de liáng fāng, wǎngwǎng bùguò shì fèi zhǐ.

 (訳文)

    子どもには他人の教えが必要であり、

  病気には他人の治療が必要である。

  ――たとえ、自分が教師や医者であっても。

  しかし、人として世を渡ってゆくには、自分で思案し処置するほかないだろう。

  他人が示してくれるあれこれの処方箋は、往々にしてただの紙屑にすぎない。