魯迅箴言日記 2020/08/07 七夕の色紙分つ妹かな

 今日は8月7日、金曜日です。例年なら、今日はねぶた祭の最終日、海上運行と花火大会の日です。今朝は朝から小雨が降っています。夕方、ブルーノートに行き、そのあと木馬に行く日です。それまで、家で執筆して、じっとしているつもりです。

 コロナ禍のなか、東京、大阪、愛知など首都圏は悲惨な状況になっています。感染拡大をおさえる方策も無いまま、ただただ外出自粛、休業要請、3密解除を要請するのみで、抜本的対策を政府も自治体も講じていないからです。日本が都市から崩壊していく様がわかります。これから秋、そしてインフルエンザがはやったらコロナウィルスが増幅され、とりかえしがつかなくなります。GO・TO・キャンペーンなんか即刻やめて、その金をPCR検査の実施と、陽性者の隔離を徹底化をして、完全に陰性になってから社会復帰させるローテーションを確立するべきです。それを中途半端にやっているとジワジワと増え、それこそ終末の冬を迎えることになります。

 コロナを終息させるまで、経済活動は二の次にしないと、日本はそれこそお終いです。政府も都知事もなにが大事かわかっていないようです。

 

 今日の子規歳時は、「七夕の色紙分つ妹かな」(明治32年)です。青年時代の子規は野球だけでなく、ボートの選手でもあったようで、スポーツマンだったのです。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言365日の73日目「私が歴史をあけてみると、」です。

 (原文)

  我翻开历史一查,

       这历史没有年代,

       歪歪斜斜的

       每叶上都写着「仁义道德」几个字。

       我横竖睡不着,

       仔细看了半夜,

       才从字缝里看出字来,

       满本都写着两个字是「吃人」!

 (拼音)

  Wǒ fān kāi lìshǐ yī chá,        
  zhè lìshǐ méiyǒu niándài,        
  wāi wāixié xié de        
  měi yè shàng dū xiězhe `rényì dàodé'jǐ gè zì.        
  Wǒ héngshù shuì bùzháo,        
  zǐxì kànle bànyè,        
  cái cóng zì féng lǐ kàn chū zì lái,        
  mǎn běn dōu xiě zháo liǎng gè zì shì `chī rén'!

 (訳文)

  (何に限らず、研究すればだんだん分って来るもので、昔から人は人をしょっちゅう食べている。)

  私も(それを知らないのじゃないが、ハッキリ覚えていないので)歴史を開けてみると、

  その歴史には年代がなく曲り歪んで、

  どの紙の上にも「仁道義徳」というような文字が書いてあった。

  ずっと眠らずに夜中まで見詰めていると、

  文字の間からようやく文字が見え出して来た。

  本いっぱいに書き詰めてあるのが「人喰い」の二字だった。