今日は9月2日、水曜日です。昨日は、3時間ほどしか眠らず、夜中に起きて、そのまま朝8時に佐井村に行き、午後の2時半に風間浦村役場を出て、350km走って、5時10分に帰宅しました。そのあと、6時10分前に市民図書館へ魯迅選集の返本・再貸出しに行き、そのあと6時半から県民プラザの升田さんの後援会に出てみました。
やはり疲れて、昨日は9時半に眠ってしまい、今朝は7時に起きました。8時過ぎに県病へ行き、輝代さんの26日の検査の結果をききに行きました。結果は、異状なし。CTでは、再発も転移もなし。たの臓器も異状なしでした。まずはひと安心でした。
今日の子規歳時は、「雨ノ日ヤ皆倒レタル女郎花」(明治34年)です。子規が「仰臥漫談」の筆をとりはじめたのが、明治34年9月2日のことでした。欲するにしたがって句を書き、歌を書き、絵を描き、感想をしるした私記でした。
今日の日本国憲法は、
第33条〔逮捕の要件〕
何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となつてゐる犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。
(本条は、現行犯逮捕以外は、逮捕令状なくして逮捕されないことを表した条文です。)
今日の魯迅箴言は、箴言365日の99日目「中国人は総じてひとつの『名前』が好きなのです」です。
(原文)
中国人总只喜欢一个”名”,
只要有新鲜的名目,便取来玩一通,
不久连这名目也糟蹋了,
便放开,另外又取一个。
真如黑色的染缸一样,
放下去,没有不鸟黑的。
譬如”伟人””教授””学者”
”名人””作家”这些称呼,
当初何尝不冠冕,
现在却听去好像讽刺了,
一切无不如此。
(拼音)
(訳文)