魯迅箴言日記 2020/09/09 コホロギヤ物音絶エシ台所

 今日は9月9日、水曜日です。久しぶりに古川1丁目のグリーンエネルギーの事務所で仕事をしました。冷房が効いていてとても気持がいいです。事務所のパソコンのかな漢字入力がナムロック解除できて復旧しました。郵貯振り込みのネット検索もでき、7月7日の入金の確認もできました。安心しました。26日の輝代さんの検診結果もよかたので、明日からは、日中は、古川事務所で仕事をします。

 

 今日の子規歳時は、「コホロギヤ物音絶エシ台所」(明治34年)です。子規が明治24年9月8日、河之内の滝見物に行った四年後の11月、漱石も滝見物に行き、近藤家の書画帖の中に子規の歌句を見つけ、「不覚破顔微笑」と子規に書き送ったようです。

 

 今日の日本国憲法は、

 第40条〔刑事補償〕

何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言365日の106日目「中国社会に於いては、」です。

 (原文)

  中国的社会上,

       ”卖老”的真也特别多。

       女人会穿针,

       有什么希奇呢,

       一到一百多岁,

       就可以开大会,

       穿给大家看,

       顺便还捐钱了。

 (拼音)

  Zhōngguó de shèhuì shàng,        
  mài lǎo de zhēnyě tèbié duō.        
  Nǚrén huì chuān zhēn,        
  yǒu shé me xīqí ne,        
  yī dào yībǎi duō suì,        
  jiù kěyǐ kāi dàhuì,        
  chuān gěi dàjiā kàn,        
  shùnbiàn hái juān qiánle.

 (訳文)

  中国社会では、

  「老いを売る」ことが本当に多い。

  女性は針をもち、

  こともあろうに、

  一歳から百歳まで、

  大会に出て、

  皆が観ている前で服を着て、

  その服を寄付したりする。