魯迅箴言日記 2021/02/20 いたわしや梅見て人の泣き給ふ(明治29年、1896年)

 今日は2月20日、土曜日です。午前中は幸畑のふれあい教室(日中友好協会の帰国子女にたいする日本語教室)に行き、午後は県立図書館での中国語教室です。県立図書館で読書もしました。週に一度、教室が終わったら、1階の図書館で読書をします。

 今日の子規歳時は、「いたわしや梅見て人の泣き給ふ(明治29年、1896年)」です。

 今日の日本国憲法は、憲法第91条と第51条です。

 第91条〔内閣の財政状況報告〕

内閣は、国会及び国民に対し、定期に、少くとも毎年1回、国の財政状況について報告しなければならない。

 第51条〔議員の免責特権〕

両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない。

 今日の魯迅箴言は、箴言365日の第261日目「一つの事件となるのは、」です。。

 原文;

   做一件事,无论大小,倘无恒心,是很不好的。而看一切太难,固然能使人无成,但若看得太容易。也能使事情无结果。

  拼音;

    Zuò yī jiàn shì, wúlùn dàxiǎo, tǎng wú héngxīn, shì hěn bù hǎo de. Ér kàn yīqiè tài nán, gùrán néng shǐ rén wú chéng, dàn ruò kàn dé tài róngyì. Yě néng shǐ shìqíng wú jiéguǒ.

 訳文;

 どんなに大きなことでも小さなことでも、忍耐力なしに一つのことをすることはよくありません。そして、すべてを見るのはとても難しいのですが、もとより、それがあまりに簡単すぎると、それは人々を不可能にする可能性すらあります。ただ、事情によって結果はことなる場合もありますが。