魯迅箴言日記 2022/01/22 寒声は宝生流の謡かな(明治30年、1897年)

 今日は1月22日、土曜日です。川柳も、アウガも、市民ホールも、環境教育の出前講座もすべて昨日から2月いっぱい延期になりました。その分、日課の勉強と創作と執筆に専念できそうです。家仕事をしながら、巣籠りで輝代さんと仲良くしたいと思います。

 今日の子規歳時は、「寒声は宝生流の謡かな(明治30年、1897年)」です。

 ほうしょう‐りゅう 【宝生流】 ‥シヤウリウ

 ①能楽シテ方の流派。観阿弥の兄宝生大夫を祖とする。

 ②能楽ワキ方の流派。江戸中期、春藤流から分かれ、宝生座付となって宝 生と称した。下掛しもがかり宝生流、下宝生、脇宝生とも。

 ③能楽の大鼓方の流派。宝生錬三郎派。近年、本来の観世流に認定。
 [広辞苑 第七版]

 かん‐ごえ 【寒声】 ‥ゴヱ

 寒中に大声で経を読み、歌曲を歌いなどして、音声の訓練をすること。冬
 [広辞苑 第七版]

 今日の魯迅箴言は、箴言130-22「年がら年中、人に悲憤と労働を強いる英雄たちは、」です。

 叫人整年的悲愤,劳作的英雄们,

    一定是自己毫不知道悲愤,劳作的人物。

    在实际上,悲愤者和劳作者,

    是时时需要休息和高兴的。

 年がら年中、人に悲憤と労働を強いる英雄たちは、

 みずからはきっと、悲しみ憤ることも、働くことも、露知らぬ人間だろう。

 現実にあっては、悲しみ憤り、働く者たちは、

 つねに休息と喜びを必要とするのだ。