魯迅箴言日記 2022/06/05 露あかしいちこ畑の山かづら(明治28年、1895年)

 今日は6月5日、日曜日です。今日は生協金沢店へ買い物の日です。あとは日課と執筆。

 今日の子規歳時は、「露あかしいちこ畑の山かづら(明治28年、1895年)」です。

 いちご 【苺・莓】バラ科の小低木または多年草で、黄・紅色の液果をつけるものの総称。オランダイチゴ・キイチゴヘビイチゴなど。一般にはオランダイチゴを指す。春に5弁の白花をつけ、果実は春から夏に赤く熟す。温室栽培では年末出荷が主。ストロベリー。夏。類聚名義抄「覆盆子、イチゴ」。正岡子規、くだもの「木の実といふ許りでは、広い意味に取つても覆盆子いちごや葡萄などは這入らぬ」

 やま‐かずら 【山鬘】 ‥カヅラ①ヒカゲノカズラで結ったかずら。神事に用いた。古今和歌集(神遊歌)「山人と人も見るがに―せよ」、②山の端にかかる暁の雲。拾遺愚草(上)「―あけ行く雲に」。日葡辞書「ヤマカヅラ。詩歌語。即ち、アカツキノクモ」

 今日の魯迅箴言は、箴言130-38「人には必ず欠けたところがあり、」です。

 人必有所缺,

   这才想起他所需。

   人には必ず欠けたところがあり、

 それによってようやく、何が必要か思いいたる。