魯迅箴言日記 2022/12/05 凩や燃えてころがる鉋屑(明治29年、1896年)

 今日は12月5日、月曜日です。11月28日に木下千代治さんがなくなり、今日は昨日の夜、美濃さんのお嬢さんがなくなったと連絡があり、美濃さん宅へ弔問に行ってきました。二階のプリンターの不具合で今日から一階で仕事をすることにします。そんなわけで、日課も小説の執筆も4時からになりました。それでも二階の書斎、同じ二階の子供部屋の本棚の机と一階の私の寝室と三つの部屋で仕事をしています。デスクトップが1台、ノートパソコンが3台、それにタブレットが1台です。今日から集中的に小説を書きます。

 今日の子規歳時は、「凩や燃えてころがる鉋屑(明治29年、1896年)」です。

 明治29年の12月、新聞日本の記者となった子規の一家の家計が苦しいのをこの句は表現している。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-70「進歩するか、あるいは退歩しないためには、」です。

   要进步或不退步,

   总须时时自出新栽,至少也必取材异域,

   倘若各种顾及,各种小心,各种唠叨,

   这么做即违了祖宗,那么做又像了夷狄,

   终生惴惴如在薄冰上,发抖尚且来不及,

   怎么会做出好东西来。

 進歩するか、あるいは退歩しないためには、

 常にみずから新たな機軸を見いだし、

 少なくとも外国から素材を取り入れるべきだ。

 もしあれこれと気兼ねしたり、不安がったり、くどくどと、

 「こうしたら祖先に背くことになる」「ああしたら蛮族同然だ」などと言い、

 一生涯、薄氷の上でびくつき震えが止まらず、ゆとりもないようなら、

 どうしても良いものなど作り出せよう。