魯迅箴言日記 2023/04/23 あれにけりつばなまじりの一ノ坪(明治25年、1892年)

 きょうは4月23日、日曜日です。今朝の東奥詩壇で青柳隼人さんの詩が二ヶ月続けて入選していました。さすが、たいしたものです。同じ題で北狄403号の原稿も送られてきました。そろそろ編集と執筆も本格化しなくてはなりません。

 今日は統一自治体選挙の投開票日です。知人の野辺地町(髙沢陽子)、弘前市(赤平泰衛)、佐井村(竹内典和)、外ヶ浜町(福井洋一、柳谷隆男)、七戸町(岡村茂雄)さんが開票を迎えます。全員当選してもらいたいものです。

 7時半から青柳事務所で開票待ちをします。

 今日の子規歳時は、「あれにけりつばなまじりの一ノ坪(明治25年、1892年)」です。

 ここで、一ノ坪は、松山市市坪です。石手川はよく氾濫していたようです。つばなは茅花と書くイネ科の多年草です。銀色の花穂の光る光景を詠んでいます。

 今日の魯迅箴言は、箴言365-5「人々は忘れることができるから」です。

 人们因为能忘却,

    所以自己能渐渐地脱离了受过的苦痛,

    也因为能忘却,

    所以往往照样地再犯前人的错误。

 人々は忘れることができるから、

 受けた苦しみから次第に逃れられ、

 また、それゆえに相も変わらず先人の

 過ちを型どおりに繰り返すのです。