今日から2月です

  今日は2月1日、日曜日です。空は曇っていますが、雪は降っていません。イスラム国に人質になっている後藤さんが殺害されたらしいとの報道がなされています。

 今日の子規歳時は、

 碧梧桐のわれをいたはる湯婆哉 (1896年、明治29年2月1日)

 ここで、2月1日は河東碧梧桐の忌日です。彼は18歳の時から子規に俳句の教えを受け、虚子とともに門下の双璧と称されましたが、後に新傾向を唱えました。六朝風の書をよくし著書も多く著わしています。昭和12年65歳で亡くなりました。
 

 かわひがし‐へきごとう【河東碧梧桐】カハ‥
俳人。名は秉五郎(ヘイゴロウ)。松山市生れ。正岡子規の俳句革新運動を助け、その没後高浜虚子と俳壇の双璧。新傾向の句風を宣揚。句誌「海紅」「碧」「三昧」を創刊。(1873~1937)

 たかはま‐きょし【高浜虚子
 俳人・小説家。本名、清。愛媛県松山生れ。二高中退。正岡子規に師事。「ホトトギス」を主宰して花鳥諷詠の客観写生を説いた。「五百句」「虚子俳話」など。「俳諧師」「風流懺法」など写生文の小説でも知名。文化勲章(18741959)

 今日の魯迅箴言は、


111 不在问现在要什么,只问自己能做什么。

Bùzài wèn xiànzài yào shénme, zhǐ wèn zìjǐ néng zuò shénme.

 (今何が必要なのかを問わなくてもいい、自分に何ができるかを問うことです。)

 
112 人类最好是彼此不隔膜,相关心。然而最平正的道路,却只有用文艺来沟通,可惜走这条道路的人又少得很。

Rénlèi zuì hǎo shì bǐcǐ bù gémó, xiāngguān xīn. Rán'ér zuìpíngzheng de dàolù, què zhǐyǒu yòng wényì lái gōutōng, kěxí zǒu zhè tiáo dàolùde rén yòu shǎo dé hěn.

 (人類はお互いに分け隔てることなく、関心をもちあうのが最もいい。しかし、その最も平坦な道は、文芸をもって通じ合うほかはないが、惜しむらくは、この道を行く人はまた、あまりにも少ないのです。)


113 文艺是国民精神所发的火花,同时也是引导国民精神的前途的灯火。

Wényì shì guómín jīngshén suǒ fā de huǒhuā, tóngshí yěshì yǐndǎoguómín jīngshén de qiántú de dēnghuǒ.

 (文芸は国民精神が発する火の光であり、同時にまた、国民精神の前途を響く灯火でもあります。

 
114 嗜好的读书,该如爱打牌的一样,天天打,夜夜打,连续的去打,有时被公安局捉去了,放出来之后还是打。诸君要知道真打牌的人的目的关不在蠃钱,而在有趣。牌有怎样的有趣呢,……它妙在一张一张的摸起来,永远变化无穷。我想,凡嗜好的读书,能够手不释卷的原因也就是这样,他在每一叶里,都得着深厚的趣味。

Shìhào de dúshū, gāi rú ài dǎpái de yīyàng, tiāntiān dǎ, yè yèdǎ, liánxù de qù dǎ, yǒushí bèi gōng'ān jú zhuō qùle, fàng chūlái zhīhòu háishìdǎ. Zhū jūn yào zhīdào zhēn dǎpái de rén de mùdì guān bùzài luǒ qián, ér zàiyǒuqù. Pái yǒu zěnyàng de yǒuqù ne,……tā miào zài yī zhāng yī zhāng de mō qǐlái,yǒngyuǎn biànhuà wúqióng. Wǒ xiǎng, fán shìhào de dúshū, nénggòu shǒubùshìjuànde yuányīn yě jiùshì zhèyàng, tā zài měi yī yè lǐ, dōu dézháo shēnhòu de qùwèi.

 (好きでやる読書は、麻雀好きが、昼も夜もなく打ちつづけ、警察に捕まろうとも、出て来るなりまた打つのと似ています。皆さん、真の麻雀打ちの目的は金稼ぎにではなく、愉しみにあるのです。麻雀の愉しみとはどんなものでしょうか。…… その妙味は、牌を一つ一つ積ってくることによって、どこまでも変化が尽きないことにあるようです。好きでやる読書が、書物から手を離せなくなる理由も、似たようなものではないでしょうか。読者は、一頁一頁のなかに、味わい深い面白味を汲みとっているのです。)
 

115 有关本业的东西,是无论怎样节衣缩食也应该购买的,试看绿林强盗,怎样不惜钱财以买盒子炮,就可知道。

Yǒuguān běn yè de dōngxī, shì wúlùn zěnyàng jiéyīsuōshí yěyīnggāi gòumǎi de, shìkàn lùlín qiángdào, zěnyàng bùxī qiáncái yǐ mǎi hé zǐpào, jiù kě zhīdào.

 (本業に関わるものは、たとえ衣食を削ってでも、買う必要がある。これは、山賊がいかに銭金を惜しまずにモーゼル拳銃を買うかをみれば、すぐわかるでしょう。)

 今日は、論語 八佾第三の21章から26章までです。これで八佾の篇は終わりです。
 

3-21  哀公问社於宰我宰我对曰,夏后氏以松,殷人以栢,周人以栗,曰,使民战栗也,子闻之说,遂事不谏,既往不咎,

(哀公、社を宰我に問う。宰我、対えて曰わく、夏后氏は松を以てし、殷人は柏を以てし、周人は栗を以てす。曰わく、民をして戦慄せしむるなり。子これを聞きて曰わく、成事は説かず、遂事は諌めず、既往は咎めず。)

3-22 子曰,管仲之器小哉,或曰,管仲俭乎,曰,管氏有三归,官事不摄,焉得俭乎,曰然则管仲知礼乎,曰,邦君塞门,管氏亦树塞门,邦君为两君之好,有反坫,管氏亦有反坫,管氏而知礼,孰不知礼,

(子曰わく、管仲の器は小なるかな。或るひとの曰わく、管仲は倹なるか。曰わく、管氏に三帰あり、官の事は摂ねず、焉んぞ倹なるを得ん。然らば則ち管仲は礼を知るか。曰わく、邦君、樹して門を塞ぐ、管氏も亦た樹して門を塞ぐ。邦君、両君の好を為すに反坫あり、管氏も亦た反坫あり。管氏にして礼を知らば、孰か礼を知らざらん。)

3-23 子语鲁大师乐曰,乐其可知也,始作翕如也,从之纯如也,皦如也,绎如也,以成,

(子、魯の大師に楽を語りて曰わく、楽は其れ知るべきのみ、始めて作すに翕如(きゅうじょ)たり。これを従(はな)ちて純如(じゅんじょ)たり、皦如(きょうじょ)たり、繹如(えきじょ)たり。以て成る。)

3-24 仪封人请见曰,君子之至於斯也,吾未尝不得见也,从者见之,出曰,二三子何患於丧乎,天下之无道也久矣,天将以夫子为木铎,

(儀の邦人、見えんことを謂う。曰わく、君子の斯に至るや、吾れ未だ嘗て見ることを得ずんばあらざるなり。従者これを見えしむ。出でて曰わく、二三子、何ぞ喪することを患えんや。天下の道なきや久し。天将に夫子を以て木鐸を為さんとす。)

3-25 子谓韶,尽美善也,又尽善也,谓武,尽美矣,未尽善也,

(子、詔を謂わく、美を尽せり、又た善を尽くせり。武を謂わく、美を尽くせり、未だ善を尽くさず。)

3-26 子曰,居上不宽,为礼不敬,临丧不哀,吾何以观之哉,

(子曰わく、上に居て寛ならず、礼を為して敬せず、喪に臨みて哀しまずんば、吾れ何を以てかこれを観んや。)