魯迅箴言日記 2022/07/31 えらい人になったそうなと夕涼み(明治29年、1896年)

 今日は7月31日、日曜日です。アウガの川柳の合評会、生協の買い物のほかは家で机に向かっていました。

 今日の子規歳時は、「えらい人になったそうなと夕涼(明治29年、1896年)」です。

 子規は秋山真之を剛友、夏目漱石を畏友、三並良を益友、柳原極堂を文友と称していました。

 夕涼;夏の夕方、屋外または縁側などへ出て涼むこと。夏。拾玉集(4)「賤の女も大道井筒に―古帷子の足洗ひして」。「縁台で―をする」
[広辞苑 第七版]

 今日の魯迅箴言は、箴言130-94「青年が、金文字の看板を首にかけた指導者を探す必要など、どこにあろうか?」です。

 青年又何须寻挂着金字招牌的导师呢?

    不如寻朋友,联合起来,同向着似乎可以生存的方向走。

    你们所多的是生力,

     遇见深林,可以辟成平地的,

     遇见沙漠,可以开掘井泉的。

     青年が、金文字の看板を首にかけた指導者を探す必要など、どこにあろうか?

 朋友を探して団結し、生きていけそうな方向へと共に歩み出すほうがいい。

 君たちは活きる力に溢れていて、

 森林に遭遇すれば平地を切り開き、

 荒野に遭遇すれば樹木を植え、

 砂漠に遭遇すれば井戸を掘ることができるのだ。