7月2日、木曜日です。真夜中の寂寞の中にひとりいます。

 不思議な音楽を聴きながら、眠る前に日課にとりかかっています。昨夜、テレビに「漱石と妻と猫」が入っていました。歴史ヒストリアとかという教養番組でした。「吾輩は猫である」や「倫敦塔」を読んでいるさなかだったので、とても興味があったのでした。

 今日の子規歳時は、
 和歌に痩せ俳句に痩せぬ夏男 (1900年、明治33年7月2日)
 子規が初めて帰省したのは明治18年の夏休みで、この時松山の歌人井手真棹を三番町の邸にたずね和歌について教えをうけたのでした。真棹は逢園と号し、桂園派の歌人、明治42年、73歳で逝っています。

 今日の魯迅箴言は、箴言120です。(あと10日で最後です)

 「白描」却并没有秘诀。
 如果要说有,也不过是和障眼法反一调;
 有真意,去粉饰,少做作,勿卖弄而已。
 `Báimiáo'què bìng méiyǒu mìjué.
 Rúguǒ yào shuō yǒu, yě bùguò shì hé zhàngyǎnfǎ fǎn yī diào;
 yǒu zhēnyì, qù fěnshì, shǎo zuòzuo, wù màinòng éryǐ.
「『白描』にまったく秘訣はない。あるとすれば、ただ人の目をごまかすのとは逆の方法である。真意(まごころ)をこめ、粉飾を捨て、作為を減らして、見せびらかさない、ただそれだけである。」
 水墨画;白描 baimiao 秘訣;秘诀 mijue 真意;真意 zhenyi 粉飾;粉饰 fenshi  
  作為;做作 zuozuo 人の目をごまかす方法;障眼法 zhangyanfa

  今日の論語は、論語8-5(論語巻第四 泰伯第八篇 5章)です。
 曾子曰、以能問於不能、以多問於寡、有若無、實若虚、犯而不校、昔者吾友嘗從事於斯矣、
 Céng zǐ yuē, yǐ néng wèn yú bùnéng, yǐ duō wèn yú guǎ, yǒu ruò wú,
 shí ruò xū, fàn ér bù xiào, xī zhě wú yǒu cháng cóngshì yú sī yǐ,
曾子曰わく、能を以て不能に問い、多きを以て寡(すく)なきに問い、有れども無きが若(ごと)く、実つれども虚しきが若く、犯されて校(むく)いず。昔者(むかし)、吾が友、曾て斯(ここ)に従事せり。」(曾子がいった、「才能が有るのに無いものにたずね、知識ゆたかであるのに乏しいものにたずね、有っても無いように、充実していてもからっぽのようにして、害を受けてもしかえしをしない。昔、わたしの友だち(顔回)は、そういうことにつとめたものだ。」と。)(曾子曰,以能问於不能,以多问於寡,有若无,实若虚,犯而不校,昔者吾友尝从事於斯矣,)