2019年1月1日、元旦のナナカマド見て雪を拭く

 1月1日、元旦から寝坊しました。大晦日は6時半に年越しの宴を翔たち一家3人と僕たち夫婦の5人で始めました。ビールと田酒を翔と飲んで千成の寿司と女房のつくったお節料理を食べているうちに、紅白歌合戦が始まった頃にはすっかり酔ってしまいました。
 陽から朝一番の飛行機に乗ろうとしたものの、羽田の駐車場が満車で、乗れなかったとの連絡が入りました。翔たちは朝ごはんをたべてアパートに戻りました。隼君に1000円のお年玉をあげました。陽と晴仁君は、結局、羽田に5時間待機して、ようやく、午後2時半に青森空港に到着しました。嫁の聖子さんは、仕事で夜7時の便で遅れて青森へ来ました。小5の晴仁君には、5000円のお年玉をあげました。
 陽の運転で、4人して筒井の義弟のところへ新年会に行きました。柏崎からいただいた越の寒梅を1本持参しました。陽と晴仁君は7時に聖子さんを迎えに行きました。僕と翔は義弟の家でもビールと寒梅を飲みました。三人で一升飲み、つぎに七力に手をつけ、5合は飲んだでしょう。
 陽たちは8時過ぎに聖子さんを連れて義弟の家に来て、飲み会には陽も加わりました。11時近くまで運転手の陽はノンアルコールでつき合ってくれました。家にもどってから、陽とビールを飲み、久しぶりに親子の会話をしました。僕と陽とのやりとりを聞いていた晴仁君は、こんな親子もあるんだ、とすこし驚き、がっかりしたようですが、意外に冷静なのに僕は感心しました。


 正岡子規の歳時記によれば、明治28年(1895年)1月1日の句です。
 元日や枯菊残る庭のさき
 2019年1月1日の僕の川柳は、「元日のナナカマド見て雪を拭く」です。

 今日の魯迅箴言は、No1「南腔北调集/世故三昧 Nánqiāngběidiào jí/shìgù sānmèi 」です。
 人世间真是难处的地方, 
  说一个人”不通世故”,  
  固然不是好话,       
  但说他”深于世故”也不是好话。
 Rén shìjiān zhēnshi nánchu dì dìfāng,
 shuō yīgè rén” bùtōng shìgù”,
 gùrán bùshì hǎohuà, 
 dàn shuō tā” shēn yú shìgù” yě bùshì hǎohuà.
 人の世というのは、まったく住みにくいものだ。
 誰それが、「世間知らずだ」というのは、
 むろん、ほめたこと言葉ではない。
 だが、ただ「世事にたけている」というのもほめたことばではないのだ。