魯迅箴言日記 2019/11/17 我は京へ神は出雲へ道二つ

 今日は11月17日、日曜日です。昨日は、研修会のあとの懇親会が本町5丁目の司でありました。総勢10人の会でしたが、楽しく有意義な会でした。弘大の石山先生、白鳥さんと話が少しできたのが幸いでした。地球温暖化防止の活動が進んでいる秋田のサポートセンター事務局長の話はさすがだなと思いました。会費は4千円。帰りの途中、柳町のぽうに寄り、日本酒1合で850円、そのあといつものとり平でハツと焼酎水割りで500円、満腹になって家に帰り、野球の試合を観るとどうにか勝ったので、研修会で内職したデータの整理をして、日課の残りをやって、12時に眠ったのでした。

 今日は7時前に起き、朝食前に日課にとりかかりました。8時に輝代さんの野菜たっぷりの朝飯を食べ、風呂に入って、着替えをしたらもう9時になっています。今日は今夜のさくら鍋のごぼうを買いに出るだけで、一日家で執筆と資料作りに専念します。あいかわらず外は、音を立てて風が吹き荒れています。

 

 今日の子規歳時は、子規が明治25年の11月下旬に神戸まで母と妹を迎えに出て、京都と静岡を見物させて、一緒に東京に17日に戻っています。そのときのことを明治30年に思い出して詠んだ句です。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言304です。

 可惜中国历来就独多民气论者,

    到现在还如。

    ……

    在不得已而空手鼓舞民气时,

    尤必须同时设法增长国民的实力,

    还要永远这样的干下去。

 残念ながら中国には従来、ただ民気論者だけが多く、

 現在もそうである。

 ……

 だから、やむを得ずして素手で民気を鼓舞する時でも、

 とくに同時に国民の実力をつけるような方法を必ず考えなければならないし、

 そしていつまでもこのようにしてやって行かなければならないのだ。