魯迅箴言日記 2020/04/06 春風や毬をなげたき草の原

 今日は4月6日、月曜日です。昨日、10時半に風晴夫妻と千葉慶さんと4人で花巻の風晴さんの実家へいきました。荷をほどいて、椎茸と葉ワサビをとって、近くの落合温泉に行って、会食をしました。豚肉ソテーと寄せ豆腐、鮎の塩焼き、葉ワサビのお浸し、漬物、を酒の肴に缶ビール、ダク、白酒、清酒を飲みました。

 

 今日の子規歳時は、「春風や毬をなげたき草の原」(明治23年)です。明治19年、大学予備門が高等中学と改称し、20年4月に子規はその寄宿舎に入り、「バット1本、球1個を生命の如く思ひ居りし時なり」という生活が始まりました。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言130の80です。

 (原文)

  中国相传的成法,谬误很多;

     一种是锢闲,

     以为可以与社会隔离,不受影响。

     一种是教给他恶本领,

     以为如此才能在社会中生活。

 (発音拼音)

     Zhōngguó xiāngchuán de chéng fǎ, miùwù hěnduō;

     yī zhǒng shì gù xián,

     yǐwéi kěyǐ yǔ shèhuì gélí, bù shòu yǐngxiǎng.

     Yī zhǒng shì jiào gěi tā è běnlǐng,

     yǐwéi rúcǐ cáinéng zài shèhuì zhōng shēnghuó.

 (日本語訳)

  中国に伝わる古いやり方には、間違いが多い。

  一つは子どもを閉じ込めることで、

  社会から隔離すれば、影響を受けずに済むと考える。

  一つは悪い才覚を教え込むことで、

  社会を生き抜くには、そうするほかないと考える。