魯迅箴言日記 2022/05/27 芍薬の衰えて在り枕もと(明治35年、1902年)

 今日は5月27日、金曜日です。今日は朝10時に柳壇・俳壇の投句葉書を投函し、1時に家を出て、1時半から5時まで会議、6時から古川事務所でまた会議、7時半にとり平へ行き、8時に帰宅しました。昼は雨に打たれました。チェルの募金はさぼりました。

 今日の子規歳時は、「芍薬の衰えて在り枕もと(明治35年、1902年)」です。

 芍薬;ボタン科の多年草。葉・花ともに同属のボタンに似るが木本にはならない。中国東北部の原産。茎は高さ約60センチメートル。5月頃、茎頂に紅・白または黄の重弁・大形の美花を開く。観賞用に古くから栽培、園芸品種が多い。根を乾燥したものは漢方生薬で、鎮痙ちんけい・鎮痛・通経薬として煎用。日本の山地には小形のヤマシャクヤクが自生する。貌佳草かおよぐさ。夏
 今日の魯迅箴言は、箴言130-29「感激は、言うまでもなく、」です。

 感激,那不待言,

   无论从那一方面说起来,大概总算是美德罢。

   但我总觉得这是束缚人的。…

   因为感激别人,就不能不慰安别人,

   也往往牺牲了自己,

    ――至少是一部分。

 感激は、言うまでもなく、

 どこからみてもたいがいは美徳とされる。

 だが、これは人間を縛りつけるものではないだろうか。……

 他人に感激したために、その人をいたわざるを得なくなり、

 同時に、しばしば自分を犠牲にすることになる、

 ――少なくとも、その一部分を。