好太王の碑文

イメージ 1  私は去年の夏、教え子二人と片道80元を出して、土埃のつまった旧型の長距離バスに乗って、教え子の実家のある北朝鮮との国境の町の集安(高句麗平壌に遷都される前の都)に行ってきました。市中を流れる川幅150メートルほどの鴨緑江の対岸には北朝鮮の子どもや川で洗濯する男女の姿が手にとるように見えた。みな漂白されていないシャツと黒っぽいスボンをはいていた。子どもたちはランニングと半ズボンである。履物はみなズック。
 一方、集安では夏の夜、中心部を流れる支流の両岸で、火鍋屋が夜中まで店を広げて多くの市民で賑わっている。中国と北朝鮮の格差をまざまざと見せつけられた。中国は北朝鮮を継子のようにしかみていないことを感じたものだった。
 70億人の世界の人口のうち5分の1の14億人が漢民族を中心に多くの民族をかかえた中国人なのだ。
 好太王の碑文には日本のことも書かれているというが、果たしてほんとうなのだろうか。そして、かの墓に眠る好太王は、いまの中国、朝鮮半島、そして日本のことをどう思っているのだろうか。