2011-01-01から1年間の記事一覧

「さよなら夜のライオン」と「城ヶ倉大橋」

私は「孔子の生涯」の校正の仕事に一定のめどをつけ、昨日から本格的に小説の執筆に専念している。 まず、「さよなら夜のライオン」という小説。14年前の私の処女作「夜のライオン」を最初から最後まで書き直し、ほとんど全く新しい小説として書いている。題…

佐々木英明の詩

18日、佐々木英明が今年最後のサイクリングロードでやってきた。小湊から1時間半かけて、身体にぴったりフィットしたユニフォームを身につけ、流線形のヘルメットを被りペダルに吸い付くようなシューズで颯爽と階段を上り事務所に現れた。 63歳にはとても思…

来年は世界が大きく動く 私は書きまくる

来年2012年は米大統領選挙があり、中国は国家主席が交代する。いまや日本はGDPで中国に抜かれ、14億の量の国家に呑み込まれそうである。中国の指導者は胡錦涛主席から習近平副主席にとってかわる予定だ。アメリカの方はオバマ大統領の人気はいまひとつだ…

癌についておもう

半年前に前立腺の手術をした山内さんが、先月大量下血して緊急入院して、大腸癌の手術をしたということで14日渡邊教授とともに県病にお見舞いに行った。 6階のガン病棟の個室に山内さんはいた。そこに次女でロサンゼルスにいるはずの娘さんも看病していた。…

中国の歴史に学ぶ

中国の古代で最初の王朝は、殷の前に夏という最古の国家があったといわれれいる。およそ四千年も前の頃である。舜から兎、桀までに17代も続いたという。 その後、中原(黄河の周り)は殷の湯王によって統一され、それが武王によって滅ぼされ、周の時代となり…

今日は第2回「小説を書こう」講座

中央学院大学の図書館カルチャー講座「小説を書こう」の今日が2回目だ。天候に恵まれて、受講生が集まってくれるのを祈る。 講師の古川壬生さんのこと、きっとうまくやってくれるはずだ。前回の私の失敗の分を取り戻してくれることを祈る。 10月の私の講…

日本はあまりにアメリカ一辺倒ではないか

TPP問題や沖縄嘉手納基地の移転問題を考えるにつけ、日本はあまりにアメリカ一辺倒ではないかと思ってしまう。政治経済外交の面でアメリカの意向を尊重しすぎるのではないか。もっと、世界の中で日本の果たすべき役割を考えるべきだと思う。このままだと…

週末の無理がたたり左足から右足に傷みが移行

4日金曜日になっても左足の痛みは引かず、しかたなしに5日の弘前菊祭りバス旅行をキャンセル。そんなわけで、5日6日の週末は、二階の書斎にこもり、次男の使っていたパソコン台を持ちこみ、テレビで映画をを見ながら、校正の調べ物の検索とメモ、それに…

家に閉じこもること5日目

11月1日の朝、リンゴの中国輸出の話を訊きに県庁の観光局へ行って、同行した浪岡の海老名市議とラプラスでランチを食べて帰ってから、痛風がひどくなった。 左足の踵の痛みに加え、親指の付根まで痛みが広がり、足の甲すらつけない状態になった。そんなわけ…

孔子について

十月の下旬から、孔子の伝記と論語の勉強を始めている。孔子は釈迦、イエス、ソクラテスと並ぶ、四大「人類の教師」の一人だが、約2千5百年前の中国で何が起こっていたのかわかった。論語、史記、詩経などの文献を読むうちに、いまの世界に共通する生と死…

ニューヨークの長男が出張で東京に

ニューヨークで日系の監査法人に勤め、公認会計士をしている長男のところに9月23日、孫の真嵩(マシュウ)が生まれた。長男夫婦はマットとか、マッティーとか呼んでいるらしい。 メールで誕生の知らせがあったのは、日本時間で24日の午前5時前だった。…

長島小学校6年7組

私は家から歩いて2分の長島の大谷幼稚園に3年通い、隣の長島小学校へ昭和31年に入学した。1年と2年の時は二部授業で、月ごとに午前と午後の授業が交互に入れ替わった。3年の時に組替えがあり、7組となった。1年から卒業までずうっと同じクラスだった…

福島原発事故のことを小説に

大学の同期会で福島県の土湯温泉に行った。 金曜日の午後、新幹線はやてに新青森駅から乗車し、仙台でやまびこに乗り換え、午後4時きっかりに福島駅に降りた。5時に宿のバスが迎えに来るため、約40分福島駅前を散策してみた。 華やかさのない駅前は静かで、…

ようやく終わった小説講座

14日の青森中央学院大学の図書館カルチャー講座はようやく終わった。 遙の「ハルビン中央大街」を提稿してから、このひと月、初めて文学とは何か、小説作法にはどんなことがあるのか、正面から向き合ってみた。いい文章・こころに残る文章、文体とは作品にど…

川端康成の「末期の眼」

末期の眼を読みすすむうちに、芥川龍之介の中国上海旅行でなにがあったのか、夏目漱石の満州旅行で何を感じたのかについて興味がどんどんひろがったのでした。かの正岡子規も不治の病いに冒される前に中国を旅をしていたことも知りました。 二歳までに両親が…

漱石の「満韓ところどころ」

夏目漱石は明治42年(1909年)の夏、「それから」を書き終えて、満鉄総裁の中村是好と一緒に満州へ出掛ける予定だった。しかし、「それから」を書き終えた疲れが出たのか、漱石はまもなく強烈な胃カタルの痛みに冒され寝込んでしまう。そのため、遅れて出発…

公開講座まであとわずか

昨夜、遅い時間に新幹線で帰り、今日から平常心に戻る予定だった。新青森駅から青森まで乗り換えの階段を降りる途中、鼻の中から生温かい液体が落ちた。鼻血だった。何年ぶりだろう。5年ぶりかもしれない。疲れか、血圧が上がっているのか。とにかく、家に…

はやぶさに乗ります

明日の娘の結婚式のため、女房と二人、東京にいくため、これから「はやぶさ」に乗ります。三男は昨日、ひと足早く上京しました。これまで、北狄に原稿「星も凍る町」、遙の原稿「ハルビン中央大街」も書きました。北の街の原稿、おかじょうきの宿題も出しま…

消えた辛亥革命100周年記念訪中団への参加

7月に長春・大連を起点・終点に、集安、瀋陽、北京、旅順を旅行した。そして、10月に企画されていた「辛亥革命100周年訪中団」にも加わる予定だった。 私の家族は、この計画に大反対だった。理由は、20万円を超える旅行費用もさることながら、半年に二…

24日に教え子と会う

9月25日が娘の結婚式だ。24日朝、初めて「はやぶさ」に乗って上京する。東京お台場の日航ホテルに女房、三男と二泊する。青森から親類縁者十数名も駆けつける予定で、横浜から次男一家、両国から従弟夫婦も揃うことに。NYの長男夫婦だけが、出産と重…

中国共産党結成後の中国

今年は中国の辛亥革命100周年であり、中国共産党の結成90周年である。いまや世界で共産党の1党独裁により国家を維持しているのは中国とキューバぐらいだといっていいのではないか。 7月に中国とりわけ北京に行ってみて、いまの中国は辛亥革命100周年より中…

夏目漱石と「神様のカルテ」

夏目漱石が『満韓ところどころ』を朝日新聞に連載したのが、1909年10月21日から12月30日までである。 実際に漱石は、1909年9月2日から10月17日まで南満州鉄道総裁の中村是好の招きにより満州と韓国を旅行している。しかし、『満韓ところどころ』に連載したの…

加藤嘉一の「中国の論理」にみる現代中国

加藤嘉一さんの『中国の論理』という中国語で書かれた本を読んでいる。彼は北京在住の若手ジャーナリストの筆頭である。その彼が書く中国語の本を読むのはこの本で三冊目だ。 1984年に伊豆で生まれた加藤さんは、山梨学院大学付属高校を卒業後、現役で東大合…

長春の暗闇と梶井基次郎の暗闇

先週の土曜日、中国問題の専門家の報告を聴きに池袋に行ったついでに横浜の次男夫婦と孫を呼び出し、新宿で食事をし、翌日、研究会が終わった後、9月25日に結婚する娘と品川で落ち合い、飛行機までの時間に駅そばのビルで寿司を食べた。 前夜は、次男から、…

100年後の日本、中国、そしてアメリカ

加藤嘉一が日本語でエッセーを書いたという。中国にいて日本のことを想って書いた文明・政治批評だということだが、読んでみたいものだと思っている。彼の中国語で書いた『中国の論理』を読んでみて、彼の中国滞在はそろそろ終わりに近いのではないかと感じ…

8月23日が記念日

8月23日は記念日である。 昨年同日午後2時過ぎ、仙台空港を発ち、日本海そしてロシア上空を経て満州に入り、夕方、まだ残暑きびしい長春についた日である。わずか2時間半の飛行だったが、時差1時間を加えても、それ以上に長く感じられた。 それからの…

中国満州に想いを馳せながら「星も凍る町」を書く

「北狄」354号に書いた「氷の都」の続編ともいうべき「星も凍る町」を書いています。一応、8月1日から1日4枚書き続け、今日20日で80枚書き完結させるつもりです。21日から5日推敲して、60枚くらいまで短くし、締切に間に合わせるつもりです。 「星も凍る…

書斎の窓から見える上弦の月

書斎の西側の窓から西の空が見える。8月6日の午後8時ころ、上弦の月がすっかり暗くなった路面を照らしきれいだった。去年の8月の下旬からわずか4カ月だったが、単身赴任した長春では 月がほんとうの友であった。まだ明るいときの月、星も凍る夜の満月、…

孫文の三民主義から中国革命まで

1911年10月10日の武昌における清朝政府に対する反乱挙兵が全国に飛び火し、清朝が亡び、辛亥革命が成就した。1912年1月1日、南京に臨時革命政府が成立し、孫文が臨時大総統に選出された。 孫文が唱えた三民主義は、「民族の独立・民権の伸張・民生の安定」…

新たな発見「好太王碑の碑文」と日本

私は7月11日に集安市博物館で好太王の石碑を見てきた。そして、石碑の写真を撮り、石碑の碑文の拓本も見てきた。拓本のコピーが資料館に展示されていたが、その中で一番はっきり写しとられていたのは、東京大学文学部に所蔵されているものであることもわか…